私の文章修業・これから 〜文章への夢、ふたたび!〜
おはようございます、tamamioです^o^
いよいよ最終編です。私の人生はまだ続く予定ですが(^^)
hatenaと出会った経緯と、これからの短期的・長期的目標や夢などについて
お話します^o^
8.出産・育児メインの日々
教師修業真っ最中の中、初めての子どもを授かりました。結婚10年目にして。それから産休に入るまでは、今までと変わらずTOSSの活動に打ち込みました。
漠然とした不安があったのだと思います。
今まで通りに活動が、勉強が、楽しかったイベントができなくなること。最新の情報から置き去りにされること。みんな、私より先に進んでしまうことへの不安が。
それでも、出産・子育てという未知の世界に飛び込めることへのわくわくもあり、きっと葛藤はたくさんあったのでしょうが(忘れた)、無事に長男を出産しました。
それからは教師修業どころでなく、育児育児育児の、楽しくもノイローゼになりそうな毎日でした。それから復帰する間も無く長女妊娠・出産、ようやく復帰したと思ったら次女の妊娠と、出産と子育てに明け暮れた30代でした。
当然、文章など書けるはずもなく、すっかり文章への夢は忘れていました。
今、長男10歳、長女8歳、次女4歳。私がべったり面倒を見る時期は終わり、ようやく子ども達で遊んでくれるようになりました。
ふー、やれやれ。
9.コロナショックで芽生えた創造性の追求
そんな中起きた2020年の新型コロナ感染症。
これで私の認識は大きく変化します。
コロナ以前の私の関心は、いつTOSSに復帰するか。子育ても一段落して、また以前のようにTOSSで学びたい、価値のある実践を発表したい、実力をつけてもっといい先生になりたい、でした。
コロナショックを経験した今の私の関心は、
「創造性を発揮して、自分らしく自由に豊かに生きるにはどうしたら良いか」です。
コロナ感染症での一斉休校中、私はメンタリストDaiGoさんのYouTubeチャンネルを視聴することに費やしました。DaiGoさんの圧倒的な読書量に裏打ちされた知識、知識を使って人生を良くする方法、これが私にとって刺激的でした。
もっと自由に、自分らしく、そして豊かに生きたい。そのためには、創造性が必要である。私にはおそらく創造性が足りないので、創造性を高めて新たな人生の目標を達成したい。
そう、人生がシフトチェンジしていきました。
9+α.YouTuberを目指す子、目指す子を持つ保護者の方へ
DaiGoさんのチャンネルを視聴するまで、YouTubeはコーラにメントスを入れたり、アルミホイルをひたすら叩いたりするような、子どもが見る物だと思っていました。
でも、きちんとした専門性を持った人がYouTubeをすると価値のある発信ができる。
最初からYouTuberになりたい、のでなく、最初に専門性を身につけた人がYouTubeで発信する、そういう人しか残れない世界なのだと知りました。
だから、YouTuberを目指す子ども達は、まず自分の好きなこと、得意なことを極めて欲しい。専門性を高める、と言いますが、専門分野を持って欲しい。そのために勉強(学校の勉強でなくていいから)をして欲しい。ゲーム実況でもプラモ制作でもなんでもいいので、一つ、専門分野を持つといいと思います。
10.文章への夢を思い出す
「自分らしく」はいいけど、一体自分らしさって何だろう。得意なこと、好きなことって何だろう?そしてそれは、豊かさにつながるものであって欲しい…
読書が好きだからYouTubeで絵本解説?
意外と裁縫ができるから、minneやcreemaでハンドメイド作家を目指す?
自分らしさを生かして豊かさを獲得する、そのための方法がいまいちピンとこないで、もやもやとした日が続きました。
ある日曜の午後、私は一人でモスバーガーに来ていました。私は時々旦那さんに子どもを預けて、読書のためにモスに行きます。
そしてカフェオレを飲んでいる時、突然思い出しました。
そうだ、私は文章を書いて生活したいと思っていたんだ
本当に唐突に。
それから、文章で収入を得る方法を探しました。ウェブライター、ブログ、ちょっと違うけどアフィリエイト。
アフィリエイトは楽天でやっているのでそれはパスして、ブログってどうやって収益化するのだろう。案件みたいに、商品を紹介するのかしら。
よくわからないけど、とりあえず文章を書いて発信する習慣をつけよう。そう思って、ブログのプラットフォームを探しました。
いろいろある中で出会いました。hatenaに。
hatenaに親近感を持った理由は、まず画面が落ち着いていて洗練されていることです。ブログは「がちゃがちゃした」印象があったのですが、hatenaはいたってシンプル。そして、広告はあるのですが、広告もうるさくない。
以前は「広告なし」を探していたのですが、よく考えたら、hatenaだって営利企業。収益が上げられなかったら、サービスを提供できないわけです。
そう思ったら、広告があるのは自然。
逆に、広告があるのに、シンプルな印象があるhatenaはすごいな、と思ったのです。
11.今後の短期的、長期的目標
ブログで収益化、ブログで副業。
なかなか厳しい道のりです。
なので、いったん収入は脇に置いて、とりあえず「発信できるプラットフォームを見つけた」ので、せっせと発信します!
自分らしさを発揮して自由に豊かに生きる、それができる今の時代に生まれたこと、様々な出会いに恵まれたこと、そして、hatenaに出会えたこと。
ありがとう。これからもよろしくお願いします。
読んでいただき、ありがとうございました。
これから、もっと有益な発信を心がけます。
私の文章修業・中盤 〜教師修業、編著出版編〜
おはようございます、tamamioです^o^
前編の続きです。私の半生が3部作に・・・。
でも私だけでなく、誰にもこういう「ドラマ」はありますよね!
5.今の私を支える、TOSSでの教師修業
2年目に出会った向山洋一氏は、民間教育団体「TOSS」の代表でした。そして、TOSSは各都道府県にサークルがあることを知りました。
そのサークルに入りたい!
入って勉強して、いい先生になりたい!!
その後、結婚のため地元を離れ、愛知に。
そして憧れだったTOSSサークルに入りました^o^
名古屋市には全国的に有名な先生がいて、
その先生と良き先輩、仲間と共に、最初は月一、だんだん週一の割合で勉強会をしました。
サークルでは、模擬授業と言って、教師が子ども役になって、5分間の授業をします。
5分後、授業についてあれこれ意見を言い合う、
というのが、模擬授業です。
これが本当に楽しかった。
前に立つのはドキドキするし、批評されるのは恥ずかしいし、時に傷つくし、でも「自分の授業が良くなっている」という確かな手応えがありました。そして、価値観を同じくする仲間との出会い、交流が本当に刺激的でした。
当時、全国のあちこちで「セミナー」が開催されていました。セミナーでは、実力のある先生がご自分の実践を紹介したり、知的な模擬授業を受けられたり、時に自分の授業を批評(斬って)もらえたり。なんて、刺激的!
そして私も、県外のセミナーに参加するように。
東京、大阪、福岡、遠くは熊本や新潟にも、一人で、時には仲間と参加しました。
そのうちに参加するだけでなく、前に立って模擬授業をしたり、実践を発表したりして、だんだんと顔と名前を覚えてもらえるようになりました。
この頃は、月に一度は県外に出かけていたので、交通費、セミナー代、書籍代など出費が物凄かったです。貯金は底をつき、給料日前には常に金欠でした。公務員にあるまじき…
それでも、お金とは違う資産が、決して減らない資産が、自分の中にできました。
この頃の教師修業が、今の私を支えています。
あと、よく聞かれたのは「旦那さんはいいの?」です。こんなに奥さんが家を空けて、旦那さんは許してくれるの?と。
我が家は、夫は夫で私より忙しく、私より家にいなかったので、全く問題ありませんでした。
それに、お互いに必要以上に干渉しないというAB型気質(私も夫もAB型)なので、あれこれ言われることなく、自由にさせてもらえました。
6.はじめての原稿依頼&執筆
TOSSでは、毎月明治図書出版社から教育誌を発行していました。教科指導、学級経営を広く学べる雑誌から、国語、算数など教科に特化した雑誌、特別支援、家庭教育まで、本当にたくさん。
ライターは、主に向山洋一氏はじめ、実力のある先生方。そんな中に、若手教師が執筆したり、投稿したりするページもありました。
ライター発掘は、セミナーでの発表による認知度や、実践の中身、セミナー後のアンケート欄などから、雑誌編集部行います。
そうした中、私にも1ページの原稿依頼が届きました。初めて明治図書出版社から緑の封筒がーしかも「原稿依頼在中」の判のあるーが届いた時の嬉しさ!
私も文章が書ける!発表できる!やったー^o^
原稿執筆にあたり、言われたことは以下の2点。
1.原稿依頼は個人に来たのでは無い。サークルに所属する個人に来たのだ。だから、サークルの信用を損なう行動(〆切守らない)は厳禁。そして提出前には必ず複数人に検討してもらうこと。
2.中学生が読んでも理解できる内容、文章、表現にすること。具体的には、一文は短く。主述のはっきりした文を書くこと。
この2点。これは今でも私が心している点です。
こんなふうに始まった原稿執筆。
それから月に一本、二本と依頼を頂けるようになり、隔月誌での連載、そして月刊誌の連載も頂けるようになりました。
7.出版依頼、プロット作成、原稿作成チーム結成
当時は、教育書出版ラッシュ期でもありました。
有名な先生の単著、その先生のサークル共著や、中には若手教師の単著も出版され、まさに出版ラッシュ。
その流れで、私にも編集長からお話をいただきました。お葉書には「先生の単著かサークル共著で」とあります。迷わず共著でお願いしました。
力も経験もない私には、単著よりも共著の方が、価値のある本を出せると思ったからです。
それからプロット(目次)を送り、執筆メンバーを募り、分担し…というように、執筆は進んでいきました。
私が責任者なので、執筆はもちろん、検討も真剣にしました。もっとこうして、ああしてと、同輩にはもちろん先輩達にもお願いし、生意気なこともたくさん言ったと思います。反省。
そしてゲラ(見本)が届き最終チェックで出版。
完成本が届いた時には、やはり嬉しかったです。
自分のしてきたことが形として世に出る、というのは、やはり格別です。
反省点はプロットが多すぎたこと。
一冊2700円の超高値になり、それもあって、再販がかかることはありませんでした。(再販がないと、出版社の利益は出ないのです。)
その後、2冊目の共著のお話もあり、結果「2冊の編著の著書」ということになっています。
7+α.おまけ
さて、私の初本のあとがきは、次の2行から始まります。
◾️
日本のどこかに、授業がとても上手な人がいるに違いない。
どこにいるのか、いつ会えるのかはわからないが、とにかくそういう人が存在して、いつか私はその人に会える。
◾️
この姿勢は、実は今も変わっていません。
対象が、その時々で、人だったり場所だったり、腑に落ちる答えだったりしているけれど、いつも何か探しています。
そうして、一つ一つ、自分にしっくりくる事物を見つけて身につけていけたらいいな、と思います。
またまた、長くなってしまったので、ここでも区切ります。今後の展望は、次回に!
読んでいただき、本当にありがとうございました!
私の文章修業・前半 〜文章を書いて生きていくこと〜
おはようございます、tamamioです^o^
今日は私の文章遍歴、Hatenaと出会った経緯と、
これからの短期的・長期的目標や夢などについて
お話します^o^
1.〜高校時代
幼い頃から本は好きで、ドリトル先生、ホームズなど、いろいろ読んでいました。大草原の小さな家で、作家という職業を初めて意識しました。
家には本があり、自然に読書できる環境でした。
2.大学時代・その1 〜小説・美術で価値観形成〜
授業、サークル、バイトの合間に読書しました。山田詠美、江國香織、原田宗典、吉田修一など当時(現在も)活躍されていた作家さんの本を好んで読みました。
大学では美術を専攻し、多くの人に出会い、刺激を受けました。ゼミの先生の個展のレセプションに招待してもらったり(銀座日動画廊)、先生ので母校である東京藝術大学を訪れたりと、芸術を生業とする人を間近にして、「こんな世界があるんだ」と憧れました。
別の先生からいただいた言葉「美しいものに憧れる貴方の感性」、そして読んだ小説、これは今の私の価値形成に大きく影響しています。
3.大学時代・その2 〜雑誌モニター時代〜
雑誌も好きで、よく読んでいました。
「ライター」という仕事を知ったのもこの頃。
好きなことを文章にして、雑誌に載せてもらって生活するって、なんかいいな!と漠然と考えていました。
ある日、電車の中吊り広告を眺めていました。そこには、2枚のファッション誌が並べてあります。大手出版社であるK社とS社。
K社の広告の方が目を引き、「どちらか一冊買うならK社」と思いました。
でもどうしてだろう。この気持ちは。
その時S社の広告に「モニター募集」の文字を見つけました。
「K社の方が目を引きました」ということを書いて送ってみよう。そう思い、2社の雑誌を買い、自分なりに面白さの違い(今思うとキャッチコピーの違い)を考え、S社に送りました。
「K社の方が面白そう」という、S社にとっては面白くない意見、しかも、きっと生意気な書き方をしただろうにも関わらず、私はモニターに採用され、一年間のモニター契約をS社と結びました。
FAXが無償で支給され、一年間S社のファッション誌が送られてくる、それに感想を書いてFAXで送る。報酬は月8000円。そういう契約です。
好きな雑誌を読んで感想を書くだけで8000円!
なんて甘い話では当然なく、一年も続けると書くことがなくなってきます。それでも契約なので、やらねば!
特に後半は、大学を卒業して就職したので、本業とモニターで大変でした。
モニターを経験して実感したのは「ライターで生活するのは大変!」でした。
モニターの月収は8000円。普通に就職したら、初任給で20万くらい?(と仮定して)20万円稼ぐのに、8000円の仕事を何本契約する必要がある?当然8000円以下の仕事もあるだろうし、そもそも契約してもらえなかったら!
そんな生活、私には無理!!
いつか文章を書いて生活していきたい、
そんな風に考えていた私は現実に打ちのめされ、子どもの頃からの夢・教師になりました。
4.悩みながらの教師生活 〜向山洋一氏の著書との出会い〜
実家に戻って、母の母校に採用されました。
憧れだけでやっていけるほど教師の世界は甘くなく、それでも「若さ」に助けられて何とか一年目を終えました。
次の年も、悩みながらの毎日。
このままではいけない!と、勉強するべく書店に行って、教育者を手当たり次第に購入しました。
その中に、元公立学校教諭・向山洋一氏の本が。
向山氏の本が面白く、手応えもあったので、そこから向山氏の本に没頭します。
この出会いが、新たな文章修業、そして今とこれからの私に繋がっていきます。この時期に向山氏の著書と出会えて本当によかった。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。長くなりそうなので、一度切ります。
今思うと、モニター業は私にとって転機となりました。それを掴めたのは、運もありますが、やはり行動したからだと思います。
既にhatenaで発信されているみなさんには釈迦に説法ですが、行動って大事!と思いました。
読書から得るワクワクを!
おはようございます!
読書大好き、tamamioです(^^)
本から新しい知識や見識を得ると
ワクワクします。
そのワクワク感が大好きです^o^
仕事は、小学校教師と3児の母を
やっています^o^毎日楽しい〜♪
このブログでは、本から得た知識を元に
経験、考察を交えながら
「子育て×教育×生活」について、
有益な発信をしたいです。
具体的には、
読んだ本の要約や紹介ではなく、
本の一部を切り取り、
私の専門である教育や
子育てなどの視点から、
皆さんの生活に使いやすい形で
お伝えすることができればと思います。
さて、上の写真は私のメイン本棚の一部です。
今は電子書籍が主ですが、紙の本はいいですね、美しいですね^o^
このエリアはよく目にするので、
ビジュアル系でまとめています^o^
読書の他に好きなのは、
アウトドア、手仕事(料理、裁縫)、瞑想。
大学時代は美術を専攻していました。
そして最近投資も始めました。
私の場合、読書は仕事と直結するので、
読書は趣味であり仕事であり、
ライフワークです^o^
皆さんの記事を拝見し、
あまりの完成度の高さ、
センスの良さ、
内容の充実さに圧倒されそうになりましたが、
皆さんからたくさん学ばせていただけること、
楽しみにしています^o^